伊織弓鶴-バイトを始めたら小遣いがなくなった。
琴葉茜-アルファベットの方できらきら星を覚えた。
バイトからの帰り道は解放されたという気分になる。人から、制服から、バイトから。まぁ、色々から解放されたなぁと少し楽しくなるのだ。
10月の風は突き刺さる寒さとは言わないものの首元が寒く、すくんでしまう。昼になると暑いからとネックウォーマーを置いてくるんじゃなかった。一人そんなことを考えながら、家まで歩き続ける。
家帰ったら何食べよう。母さんに聞こうかなとスマホを取り出したところで、何か違和感を感じた。違和感というのは正しくない。いつもの帰路が少し違う気がした。
よくよく耳をすませば斜め前の公園の方からか細い鼻歌が聞こえる。静かな住宅街で、異質なその鼻歌を聞いてもしかして子供がいるんじゃないだろうかと少し不安になる。
今は22時ちょっと過ぎで、子供がいるにはだいぶ遅い時間だ。
気にしすぎならいいが、もしも本当に子供がいるなら、危ないので何かしら警察に届けるなり、家まで送るなり、学校に問い合わせるなりなにか、そういうことをすべきだ。
恐る恐る公園の方に向かい、覗き込む。
すると、街頭から少し離れたところ、滑り台の上に人影を見つけた。座っているのか、柵に遮られてよく見えないが、どうやらアレが鼻歌の人物らしい。
子供かどうかよくわからず目を凝らして見る。そして、思わず声が出た。
「茜……?」
見慣れた桃色の髪に、うちの高校の制服。クラスメイトの、琴葉茜だ。声が届いたのか、軽く上を向いていた視線がこちらに向き、赤い目がよく見えた。
「あれ? 弓鶴やん。何してんの」
「こっちのセリフ」
そういって、滑る側から上にいる茜を見上げた。俺のいったことが何かしら面白かったのか頬杖をつきながら笑っている。
スカートの中が見えないように三角座りの下でスカートを手で押さえてる姿は、なんだかとても似合ってる。
「空見上げてるんやから、星を見てる一択やろ」
そう言われて見上げると、まばらに星があった。見つかっても一個二個で、これならどこで見ても変わらないだろと思う。
視線を空から、茜に戻すとやけに悲しそうな顔をしているので息が詰まる。
「……ベランダで見たらいいんじゃねぇの」
「……いやほら、公園で黄昏てんのええやろ。雰囲気あるやん」
「そのあほくせーって顔やめーや。ばれとんぞ」
「へーへー。帰るか?」
「……もーちょい、いる」
「ふーん……」
それならいようかとも思うがどうすべきなのかよくわからない。ただ、置いていくのはやだなと、ただそんなことを考える。
「……んで? お前は?」
ぼーっとしていたところに不意にかかった声が何を指しているのか少しの間わからなかった。
「バイト帰り。ほら、駅前のコンビニ」
「あー……あの微妙にアクセスの悪い」
「事実だけどさぁ。まぁ、クラスメイト来ないし、人もあんま来ないし、結構楽だよ」
「はー……うちもそこで働こうかな」
「ははっ、俺を先輩と呼べ」
「うわっ、やっぱ無し」
いつも通りのやりとりの最中、ふと茜の恰好に目が行く。
「……」
「なんよ、そんな先輩って呼ばれたかったんか」
「いや、そうじゃなくて。よく見るとめっちゃ寒そうだなって」
よく見ると、スカートの下は膝下の靴下、上はブレザーは着ているものの下にカーディガンやベストは見えない。マフラーなんかもしておらず、この気温でそれはきつい気がする。
「いやもうめっちゃ寒いよ……そろそろコート出さなってなってる」
「明日までに用意しとけよ。明後日は今日よりだいぶ寒くなるらしいし」
「へー……そうやったんか」
俺も帰ったら出さないと。そんなことを考えてると風が吹く。冷たい風だ。
思わずポッケに手を突っ込み、暖を取ろうとして気づく。そういえばこれがあったな。
「……ちなみに俺はカイロを二つ持ってる」
そう言った途端、琴葉茜が姿勢を崩してこちらを見る。
「はー? 羨まし……一個くれ」
「なら降りてこいよ」
「……ちぇー」
そう言いながら茜は滑り台を滑って、少し横にずれた俺の元まで駆け寄ってくる。
「ちべてー。ほら、寄越せや」
「はいはい」
そう言って、一個しかないカイロをやる。
「はー……生きれる……」
「はいはい。生きてるうちに帰るぞ」
「へーい」
そんな軽口を叩きながら、公園の外へと出る。
しばらく何を話すでもなく無言で歩いてると一緒にいるはずなのに、茜は俺のことなど眼中にないようで星を見上げながら歩いている。
そのうちまたきらきら星の鼻歌が聞こえ始めた。
どうしていいのかわからず、どうしたいのかもわからず、ただなんとなく立ち止まってしまう。
先を行く彼女は気づいていないようだ。寂しそうに、何かを想うように、そんなふうに聞こえるきらきら星が住宅街に消えていく。
「……さむ」
なんだか、空気を壊さないと隣に居れない気がした。でも、邪魔をしていいのかわからず、ただ自分にしか聞こえない音量でつぶやく。
「……カイロは返さへんよ」
だけど彼女には聞こえていたようだ。ふりむきもしないが、立ち止まって待ってくれる。
「……わかってるよ」
そんなふうに嘯いて、彼女のところまで駆け足になる。
彼女の心に踏み入ることもできず、何を思ってるのかすらわからないのが少しだけ悲しいから、せめて隣に立とうと、そんなことを考えた。
2021年10月25日公開
2022年12月02日更新