文はやりたし書く手は持たず

水奈瀬コウ-書道教室に通ってた時期がある
琴葉葵-小学生、親が離婚してて双子の姉と別々に暮らしてる

 大して仲良くもない、どうでもいい子に「字、汚いね」と言われたことがある。それからずっと、字を書くときに魚の骨が喉に刺さったような、そんな感覚に陥ってる。

「どうしたの?」
「あっ、えーっと……」

 敬老の日におじいちゃんとおばあちゃんに手紙を書こうという授業。他の子たちは悩みながら書いてる中、一つもかけずにいると担任のコウ先生に話しかけられた。
 不思議そうにこちらを見る青い目が嫌に刺さる。

「もしかして、何書けばいいかわからない?」
「えーっと……その、それは、わかってて……書きたいことが……沢山で……」

 言葉に詰まる私を待つとでもいうように、机の横に座り込む。

「……」
「どうしたの?」

 黙ってたら何もわからない、と他の人ならいうだろうがコウ先生はただ待ってくれる。他の席の子がこちらを見ているような気がして、なんだか怖くて口を紡ぐ。
 それでも、先生の少し鋭い目に見られると、思わず言ってしまうのだ。

「……字が」
「字が?」
「……汚くて」

 そういうと先生は少し呆気に撮られたような表情をしていた。
「……葵の?」

「……うん」

 同意とも、唸ったとも言えない声が出る。それに対して先生ははーと、ため息とも感嘆ともつかない声を漏らした。

「そんなことないと思うけど」
「……そんなことあるんです」

 字が汚いとはあの子以外に言われたことはない。それでも、あの時の言葉がずっと刺さって抜けない。
 いろんな字を見るたびに、私の字が一層汚く映る。

「まるで……文はやりたし、書く手は持たぬ、だね」

 もやもやとした感情で俯いていると先生はいつもの調子で話し出した。

「……なんですか、それ?」

 先生のことだ。きっとことわざなのだろう。それだけはわかった。

「元々は恋文を出したいけど人に見られるような文章とか、文字とか、そんなの書けないよってなったんだけど、かと言って代筆を頼むのも躊躇するっていうことわざなんだ」
「……」

 代筆って、なんだろうと思ったが多分他の人に書いてもらうみたいな意味だろうか。

「そもそも葵の字は汚くなんかないと思うよ」
「……汚いよ」

 褒められてるのはわかるのに、それでもすぐに否定してしまう。
 あぁ、めんどくさいと先生は思っているに違いない。ますます俯いてしまう。
 そんな私の気持ちを知ってかしらずか先生はなんでもないように告げる。

「……じゃあ、考え方を変えよう」
「え?」
「大きく字を書こう」
「……どうして?」

 字が汚いのに、どうして大きく書くのだろうか。何も繋がっていない気がして混乱してしまう。

「そうしたら読みやすいから。太いペンかすから、そうしてみよう? 下書きをきちんとして、太いペンで、なるだけ大きく、読みやすくしよう」

 そう言われて考えるが確かにそうかもしれない。でも。

「……でも、汚いのは汚いんじゃん」

 汚い字が大きくなっても汚いだけなんじゃないだろうか。

「それでも、小さな汚い字よりも大きな汚い字のほうが読みやすいに決まってるよ。それにさ、ああ言えばこう言うのも、悪くないけど、案ずるより産むが易しだよ」
「……」

 それは、先生が何度も言ったことわざだ。屁理屈言わずにとりあえずやってみろと言いたいんだろう。そうした方がいいのだろうか。でも、汚い字で渡したくない。
 そうやって少しの間考え込んでいると先生が独り言のように呟く。

「それに、今後何回も手紙を出せるわけじゃないんだから」
「そうなの?」
「そうだよ……だから、葵がよかったらそうしてみない?」

 そう言われてまた考え込む。おじいちゃんもおばあちゃんも大好きで、ありがとうって伝えたい。でも汚い字を見られるのは嫌で、でもでも、手紙を渡せない方がもっと嫌かもしれない。

「……わかった、そうする」

 渋々そう先生に言うと先生は少し嬉しそうな顔になった。

「じゃ、ペン持ってくるね。あ、みんなも色付きのペン持ってくるから周りに模様とか描いたりしてみてね」
「はーい」

 そうして、ペンをもらって授業が終わる頃には汚い字の手紙ができた。書き終えてからこれでよかったのか考えに考えたが答えは出ない。二人が喜んでくれるのかもよくわからない。
 それでも、渡すことにした。
 これから何回渡せるのかわからないけど、渡せなかったと後悔するのは嫌だから。
 汚い字でも、なるだけ読みやすくしたから、伝えたいことはたくさん書いたから。
 後悔だけはしないように、そう思って渡した。

 

 *

「おじいちゃん、おばあちゃん、コレ!」

 勤労感謝の日にお母さんと一緒におじいちゃんとおばあちゃんちに行った。二人に渡す時、心臓が止まっちゃうんじゃないかと思った。
 二人は喜んでくれて、ほっとした。
 あぁ、渡せてよかったと本当に心から思った。
 そんなことを考えながら、ふと、先生は手紙を何回渡せたのだろうかと、そんなことを考えた。先生は後悔したのだろうか。
 していないといいな。