伊織弓鶴-実用書をよく読む。小説は茜ちゃんから薦められるものを読む。
琴葉茜-ジャンル問わず本をよく読む。特に小説が好き。
本屋で、茜ちゃんを見かけた。狭い街だ。
そう思うと同時に声をかけようとして踏みとどまる。
見間違いかとも思ったが、どうやら見間違いではないようだ。なぜ彼女は片手にレモンを持っているんだろう。
眩しくなるほど鮮やかで綺麗な黄色に、ラグビーボールに少し近い楕円形。片手に収まるそれは確かにレモンだった。
何をしているのだろう。
聞きたい気持ちと、関わりたくない気持ちが半々と言った感じだ。
そうしてしばらくぼーっと眺めていると視線に気付いたらしい彼女の赤い目と目が合う。小さく手を振った。その手にはレモン。だからなぜ。
気づかれてしまったならもう関わったと同然だ。文庫本の棚にいる彼女に寄って、小さな声で話しかけた。
「そのレモン、なに?」
「え? レモン」
それがどうしたとでも言うように返答をされてだからなんなのだと改めて思ってしまう。
「いや、その、そう言う意味じゃなくてなんでレモン持ってるの?」
「あぁ、いやな、わからへん?」
そう言われて少し考える。
レモン、本屋。
「……梶井基次郎?」
「ぴんぽーん」
どうやら当たっていたようだがそれでもわからない。
「……で?」
「で?」
「なんで梶井基次郎の檸檬のマネのようなことをしてるの? もしかして不吉な塊があったりするの?」
茜ちゃんはそんなに小説に影響を受けやすいたちだっただろうか。いや、そう言うのは葵ちゃんの方だった気がする。
それにもしも、檸檬の通りに不吉な塊が軽くなったからとかだとしたら今すぐ病院の予約を取らないといけない。
不審がっている俺とは逆に茜ちゃんは晴れ晴れとした顔で告げる。
「えー、ただ、読んだらしたくなっただけ? 不吉な塊はないよ、元気百倍って感じ」
「えぇ……」
思わず声が漏れた。
「そんな引く?」
「いや……引くと言うか……その、なぜそうなったのかがよくわからないと言うか……それで、なんか、混乱してる?」
自分でもうまく説明ができないのだが、そこにいたるまでの過程が吹っ飛びすぎてて理解ができずに混乱してしまう。
だけど俺が困惑している様子を見て茜ちゃんはさもありなんと言ったように決まりの悪そうな顔で告げる。
「いやまぁ、うちもよく分かってなくて……」
「えぇ……」
さっきと同じように声が漏れると彼女は説明させてとでも言うふうに手を前に突き出してくる。
「檸檬みるやん?」
「うん」
「それでスーパー見たらレモンあるやん?」
「うん」
「買うやん?」
「ん?」
「そのまま本屋来るやん?」
「?」
「わかった?」
「わかんない」
「やんなぁ……」
その返事に本当に自分でも分かってないようでますます混乱する。だめだ、このままだと目的の本を買えない気がする。
「とりあえず、本の上に置いたりはしないでね」
「せーへんせーへん」
その返事を聞いて話を切り上げて去ろうとしたところでいらないことに気づいた。
「……ちなみにどうやって消費するの?」
そういうと消費すると言う言葉の意味がまるでわからないかのように呆けた顔をする。
こいつ……。
「……弓鶴くん、いる?」
「要らないかな」
投げられたパスを俺は非常にも無視する。自分で巻いたタネだ。自分でなんとかするべきだ。
「……どうしよ」
そうは思うもまるで世界が終わりそうなほど焦っている姿になんだか気の毒になった。
おそらく叔母さんに渡してもどう使えとと混乱させてしまうだろうし、生で食べると言うのも酸っぱいので難しいだろう。
「レシピ本でも買いに行く?」
そう助け舟を出すとその手があったかと言うような顔に変わる。子供みたいだ。
「いく!」
そう言って意気揚々と歩き出した茜ちゃんをみてまた要らないことに気づいた。
「でもレモン単体のレシピ本とかあるかなぁ……」
ネットで済ますタイプなせいでレシピ本を買ったことはないがレモンという題材をメインにしたものがこのあまり大きくない本屋で見つかるだろうか。
レシピ本の棚なんて精々茜ちゃんが両手を広げたくらいしかないだろう 。
「……弓鶴くん一緒に探して」
悲痛感漂う声は同情を誘う。
ついついネットで調べる? と言いそうになるがなんだかぐだぐだな茜ちゃんが面白いので黙っておくことにする。
「……ま、いいよ」
「ありがとぉ」
「じゃ、こっちだね」
「はーい」
そうして二人でレシピ本を片っ端から立ち読みし、ハチミツレモンが乗っていた[初心者でも簡単、保存食丸わかり本]という1600円のレシピ本を購入し、後日美味しいのできたと茜ちゃんから瓶で貰い、時々作ってもらうようになったのは別の話。
そして元々俺の目当ての本を買い忘れたので、次の日にまた本屋に行って目当ての本を買ったのも別の話だ。
2021年10月06日公開
2022年12月01日更新