水奈瀬コウ-小学校の先生。最近疲れてる。 紲星あかり-高校生。小学校のころに水奈瀬コウが担任だったことがある。
紲星あかりは内緒話が好きな子だった。
小さな手で口を隠し僕の耳元までやってくると、先生あのねと言葉を紡ぐ。
今朝二度寝しちゃったの。あんみつをね、初めて食べたよ。近所のイチョウがすごかったの。校庭の雪でうさぎ作ったからあげる。
こんな風に色々と教えてくれる。それに対して僕がそうなんだとか、いいねとか、ありがとうとか、ただ一言返すだけで彼女は満足したのか、嬉しそうにふふと笑って、小走りで去っていった。
他には目立つことのない、強いて言うなら少しストレスや悩みを溜め込むので注意が必要なだけの、小さな女の子だった。
そんなことをしていた小学生の彼女は、普通に近所の中学校へと進学をし、卒業式で会ったきりである。
時は流れ、目の前には高校生の彼女がいる。生まれつきだと言う目立つ白髪は、長く編まれていて、上等な黒いヒールのある靴が似合う立派なレディになっていた。
だけど、最初僕が職員室から顔を見せると、未だ小学生のようにあどけない笑いを見せた。意外と変わらないものだ。
○
「それで? 今日はどうかしたの? あかりちゃん」
ここではなんだからと空き教室に移動して、椅子の背の低さを楽しんでる彼女に早速本題を聞くと先ほど見せた笑顔とは違い、少しだけ愛想笑いを浮かべた。
「別に、ただ、たまたまここら辺を通った時にな〜んか先生のことを思い出したので、恩師なんだし久々に会おうかなって。そんなこと思っただけですよ」
「恩師、恩師ねぇ」
恩師。僕の思い浮かべる、僕自身の恩師と、目の前の彼女に恩師と呼ばれた僕はほど遠く思える。
「あ、疑ってますね〜?」
「そりゃ慕ってたのは知ってるけど恩師というほどでもなかっただろうに」
「そんなことないですよ。あなたは私の恩師ですよ」
「そんなこと言われるようなことした覚えはないけどね……。ま、とにもかくにもあかりちゃんが高校生になるなんて、ほんと時が経つのは早いよ。またいつでもきなよ。話、聞くからさ」
少しだけ投げやりな態度になってしまった。いや、あからさまに投げやりな態度だ。
だって、疲れてるんだ。やることは尽きないし、やらなきゃいけないことも尽きないし。
申し訳ないけど元教え子の話を聞く余裕は今はない。ちょっとだけ帰って欲しいなとついつい思ってしまう。今じゃなかったら話聞くからさ。
でも、そんな邪な考えはバレるものなんだ。
「あ、追い返そうとしてませんか!?」
ほら、バレた。子供の勘はやっぱり鋭いな。思わずバツの悪い顔になった。
「あー……わかるか。ちょっと寝不足だからね。あ、言い訳みたいになるけど君が会いにきてくれて嬉しいと思ってるよ。ほんとに。でもね、眠いのは眠いから」
僕が、わざわざ彼女が小学生の頃のように屈んで内緒話を聞いてやらなくたっていいんだよ。
ほんとに疲れているし、眠いんだ。
「あはは、変わりませんね」
それで、いいんだ。
また愛想笑いをする元教え子。
でも、例えば、この子は僕が今話を聞かなかったら、どうなるんだろう。
愛想笑いなんてする子じゃなかった。
わざわざ僕に会いにくるほど義理堅い人間でもなかった。
それに、ちょっと、悩みを溜め込むタチだった。
少しだけ嫌な想像が頭をよぎる。
「……変われないんだよ」
変われないのだ。人は早々。
警備員さんが言ってたよ。数日前からここをチラチラ覗く子がいたって。
変われないんだよ。君は、そう、内緒話が好きなんじゃなくて、内緒話でしか言えない悩み事があったんだ。
それにすら気づかない鈍感な野郎だと君は今思っていそうだが、そんなはずないだろう。どの教え子のことだって、頑張って理解しようとしてんだよ、こちとら。
「ま、時間も時間だし家に送るよ」
「はい……え!? いや、いやいやいや、ここは先生と校門で別れる流れでは」
「そうもいかないんだよ」
「え、ええ…いや、いいですよ」
立ち上がってほら、いくよと声をかけると彼女は少し迷った後、少しだけ嬉しそうにはいといった。
○
車の免許は大学生を逃すとなかなか取れないのだとわざわざ教えてくれた先輩がいた。だがしかし忠告虚しく結局大学生の時にそれほど必要に駆られず未だに取る機会を見失っている。
二人で横並びに歩く道は、少し気まづさがある。
「にしてもほんと肌寒くなってきたよね。秋って感じがする」
「あー、わかります」
「そういえば、今年のイチョウはまだ微妙なの?」
「はい、まだまだ葉が青いです」
彼女に教えられて見に行ったイチョウは本当に見事なものだったことを未だに覚えている。あれ以降、たまにいくが、今年は未だに行けていない。
「そっか。ここ右だっけ」
「そうです。よく覚えてますね」
「まぁね」
記憶力だけが数少ない自慢だ。
その記憶力によると、あと少しで家なことも覚えている。
大体一分くらいで、着く。
こちらから聞くべきなのだろうとも考えるが、それは余計に言いにくいんじゃないだろうか。
どうしたものかと考えあぐねていると隣の足音がいつの間にかなくなっていた。
振り返ると、彼女は蛍光灯の下で立ち止まっている。
「せ、先生!」
「夜なので静かにしましょう」
「あ、すみません……じゃなくて、えー、えっと」
思わず反射的に答えてしまったが彼女はきちんと持ち堪えてくれて少し安心する。
「先生、あのね。わ、私。その〜……」
モジモジと恥ずかしそうにする彼女に歩みよって、少し屈む。
すると彼女の手と口は、自然に僕の耳元まできた。やはり彼女は小声で、告げる。
「先生あのね、夢を諦めたくないんだ」
そう言って数歩下がり、顔を伏せ、彼女は問いかける。
「でも、ね。高校生なんだから、諦めろって……言われるんだ。でも、ね……その……」
今にも泣きそうな声に、真っ赤な耳。 痛ましかった。でも、それ以上に。
「凄いね」
そう言うと屈んだ足腰を労わりながら、ゆっくりと立ちあがる。もう、僕も歳をとったんだ。
「夢を追うのは簡単なことじゃない。でも、夢を夢だといえるのも簡単なことじゃない。君は凄いね。あかりちゃん」
少しだけ肩が震えている気がした。でもそれを、見ないふりをする。そうか、夢か。
「文集の時からあったのだとしたら、それは本当に凄いよ」
彼女は卒業文集の最後のページに収録する、一言コーナーでの将来の夢という部分を前に、夢なんてないと言っていた。じゃあ書かなくてもいいよというと、少し考えて黙ってヒミツとだけ書いていた。
秘密を人に明かして否定されても諦められなくて、背中を押して欲しいの思うほど追いたい夢なら追うべきだとも思う。だけどそこまでは言わない。そこまでは求められていない。そこまでしなくても彼女は追えるから。
「じゃあ、帰ろうか」
そう言うと、少し赤い顔が元気に返事をする。
「はいっ!」
嬉しそうに、彼女は僕を少し追い越して、ふふと笑った。変わらないね。 また、いつでも内緒話をしにおいで。
2021年10月02日公開
2022年11月27日更新